FIAT500 旅ChannelFIAT500で足助街道~飯田街道を行く

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 江戸時代、愛知県三河地方でとれた塩は矢作川を遡って岡崎まで運ばれ、岡崎からは陸路で信州方面に運ばれました。その途中にある足助宿までの道は「足助街道」と呼ばれ、三河地方では最大の東海道の宿場町であった岡崎宿と信州を結ぶ重要なルートでした。今回はこの足助街道を走ります。
 また足助宿から先は、飯田街道をたどり愛知県と長野県の県境を目指します。ゴールは飯田街道最大の難所であった杣路峠です。

岡崎城 今回は岡崎公園にある岡崎城からスタートします。岡崎城は徳川家康が生誕した城としてよく知られています。元々は東海地方でも有数の規模の城でしたが、明治時代の廃城令で取り壊され、今あるのは戦後に復元されたものです。
 岡崎公園の駐車場を出て国道1号線を渡り、足助街道が旧東海道から分岐していたところまで向かいます。材木町1丁目交差点で東海道を走り、本町通3丁目交差点からは県道39号を北に進みます。現代、「足助街道」と呼ばれているのはこの県道39号ですが、今回はそれよりも古い道筋を辿ります。
 能見通一丁目南交差点の北西に岡崎城信濃門跡の碑があります。かつてはここまで岡崎城内であり、ここから足助街道がスタートします。  

伊賀八幡宮 県道39号とその側道を北上していきます。本来のルートは伊賀町交差点をそのまま北進ですが左折し伊賀八幡宮に寄り道をします。伊賀八幡宮は徳川家とその祖である松平家の氏神です。徳川家康は大きな戦の前には必ずこの神社で必勝祈願をしたといわれています。境内には葵の御紋が多く見られ徳川ゆかりの地であることがわかります。
 伊賀町交差点に戻り、引き続き県道39号を北上していきます。途中井田観音のあるところでは道が三つに分かれています。直進は足助街道、西の道は大樹寺に、そして東の道はもう一つの足助街道と呼ばれ松平郷を経由して足助に向かいます。

大樹寺 鴨田交差点を左折してまた寄り道をします。大樹寺は徳川家の菩提寺です。桶狭間の戦いの際、今川側であった松平元康(徳川家康)は滞在していた大高城からこの寺に逃げ帰りました。しかし敵に囲まれ自害をしようとした時、この寺の住職に説得され思いとどまったと伝えられています。このシーンはドラマで徳川家康が主人公の場合はまず間違いなく描かれる有名なエピソードです。なので歴史ファンには人気スポットで、この日も観光バスが来ていました。

桑原の地蔵と道標  鴨田交差点から県道39号に戻り北上していきます。一旦、於御所南交差点で国道248号に出ますが、岩津於御所交差点ですぐに県道39号に戻り東名高速の下をくぐります。県道39号はそのまま矢作川の支流である巴川まで進みますが、この道ができたのは後年で元々の足助街道は山の中に進みます。しかし今は北斗台という住宅地になっているため古い道は残っていません。北斗台を越えて桑原の集落に入ります。旧街道は県道39号より一本東側の細い道で、地蔵や道標が残されています。道標には「左 せんくわうし(善光寺)道・足助」と標されています。足助街道は善光寺詣にも利用された道であるため「善光寺道」と呼ばれることもあります。

 しばらくは巴川の左岸を走ります。本来の足助街道は中垣内町あたりで「中村の渡し」で巴川の右岸に渡りますがあまり見どころもないため九久平まで左岸を走り港橋を渡ります。九久平はかつて巴川を船で運ばれてきた荷物を馬に乗せ換える中継地点だったところです。
 松平橋までは巴川の右岸を走りますが、その先は山間の道となります。旧酒呑村・現幸海町をすぎて県道487号を走り、則定の集落へと入っていきます。則定をすぎた後は一山超え大島集落になりますが途中車での通行が困難な道があるため徒歩で撮影します。大島の集落を過ぎてまた一山超えると飯田街道である国道153号に合流します。

足助の街並み 足助街道と飯田街道の重複区間である国道153号をしばらく東に走ると、足助街道の終点である足助宿に入ります。足助の町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区となっており、漆喰塗籠造りの古い建物が多く見られます。
 足助から先は飯田街道の単独区間となります。現代「飯田街道」と呼ばれるのは国道153号ですが、本来の飯田街道は県道33号のためこちらを走ります。桑田和の集落を抜け、萩野小学校を左折して県道366号を走り山を越えます。

伊世賀美隧道  千田町で国道153号に再び合流しますが、本来の飯田街道は阿摺川沿いの細い道です。車では走れないので国道153号を走ります。ドライブイン伊勢神で昼食を取った後は、国道から外れ飯田街道の難所であった伊勢神峠方面に坂を上ります。伊勢神峠からは遠く三重県の伊勢神宮が拝めるそうですが当然車では上れないため伊世賀美隧道を通ります。旧伊勢神トンネルこと伊世賀美隧道は国の登録有形文化財となっています。現在国道153号にある伊勢神トンネルは2代目で現在3代目のトンネルが建設中です。

小田木集落 トンネルを抜けたら左折し連谷の集落へと下っていきます。段戸川を渡った後、再び上りになり一旦国道に出て、今度は小田木の集落へと下っていきます。この辺りは眺めも良く、近くに展望スポットもあります。小田木の集落から今度は水別峠への上りとなります。
 水別峠からは、国道に沿う道を稲武方面に下っていきます。この辺りの旧街道は調べてみましたがはっきりと分からなかったためそれらしい道を走ります。真弓大橋西の交差点を左折して国道から外れて武節の町に入っていきます。武節には宿場町があったため今もその雰囲気が残っています。

杣路峠入口 稲武町交差点から国道153号に戻ります。夏焼から野入までの区間、本来の飯田街道は国道から外れた地蔵峠を越える道となりますが、車では走れないため国道を走ります。野入集落にある地蔵峠東側入口から飯田街道に戻り、集落を抜けてからは杣路峠への上り坂となります。杣路峠への入口は坂道の中腹に看板があります。飯田街道は中馬と呼ばれる馬を使った物資輸送が盛んに行われたため「中馬街道」とも呼ばれます。車を降りここからは徒歩となります。(杣路峠の動画)

杣路峠
 杣路峠は飯田街道最大の難所であり峠までの道はかなり細く、所々倒木があったり崩落している箇所もあります。この道を昔は何十頭もの馬が行きかっていたとは思えないほどの急坂を上っていきます。途中道を間違えたりしながら1時間以上かかって愛知県と長野県の県境を越え峠の頂上に到着。峠の地蔵に帰り道の無事を祈念して今回の旅は終了です。


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