FIAT500 旅ChannelFIAT500で中馬街道を行く

(画像はマウスオーバー又はタップで拡大できます)

 江戸時代、名古屋から信州方面に向かう道として主に「飯田街道」が利用されました。しかしそれとは別に名古屋の大曽根から東に進み、瀬戸から山間部を通り現在の長野県根羽村で飯田街道に合流するルートが独自に発展しました。「中馬」という馬を使った輸送手段が盛んであったため、この道は「中馬街道」と呼ばれます。今回はこの中馬街道を走ります。ゴールは飯田街道との合流点である長野県根羽村です。

深川神社 今回の旅のスタートは愛知県瀬戸市の深川神社です。名古屋から瀬戸までのルートは以前に走った「瀬戸街道」とほぼ同じため、今回はここからスタートします。
 国道363号に出て北東に進みます。本来の中馬街道は国道より北の山の中を通っていましたが現在は残っていないため、後に新たな中馬街道となった国道を走ります。瀬戸市品野町に入り、全寶寺からは中馬街道の古道を走ります。国道363号から東に一本入った旧下品野村の古道は、現在文化庁の「歴史の道百選」に選定されています。
 品野交番前交差点を右折し、水野川の左岸を東に進みます。旧上品野村では中馬街道は車の通れない細い道となるため徒歩で撮影します。旧上品野村の古道も一部は歴史の道百選に選定されています。

坂瀬坂  白岩町からは古道は山の中へと入っていくため徒歩で撮影します。「坂瀬坂」と呼ばれるつづら折りの急坂を上っていきます。坂瀬坂は中馬街道沿いに伝わる民謡「中馬馬子唄」の歌詞にも登場する難所の一つです。坂を上り切りしばらく東に進むとメガソーラーパネル事業所の中を通る道となり、太陽光パネルの敷き詰められた山の尾根道となります。しばらく平坦な道を進むとまた少し上りとなり、その後は国道363号に向かって下りとなります。山が掘り下げられ国道によって中馬街道は寸断していますが、本来の峠である「雨沢峠」は国道の東側にあります。

坂下の中馬街道 車に戻り岐阜県土岐市に入り、国道363号を東に走ります。しばらく進むと中馬街道はまた国道から東に外れ、車が通れない道となるため徒歩で撮影します。まだ雪の残る竹やぶの中の坂を上り、峠を越えると坂下の集落となります。
 車に戻り国道を東に進むと宿場町であった柿野の集落に入ります。宿場と言っても中馬街道は「伝馬制」の敷かれた公式な道ではなかったため、正式な宿場ではありませんでしたが、美濃、尾張、三河の三方向からくる道の合流点であるためかなり栄えた集落であったようです。金蔵ヶ峰と呼ばれる峠を越えると細野に入ります。細野も宿場機能を有する集落でした。肥田川沿いに旧街道を進んでいくとまた車が通れない道となるため徒歩で撮影します。

曽木の道祖神 一旦車の映像に戻りますが、細野にある中山神社の前からはまた車が通れない道となります。旧街道沿いには旅の安全を願う道祖神などが置かれています。坂道を上り切り下りとなると細野から曾木となります。車に戻り宿場のあった大草の集落を走ります。この辺りには造り酒屋などもあったようで、今でも古い街並みが残っています。国道を西から東に渡り曽木の集落に入っていきます。この辺りの旧街道沿いには馬頭観音や石仏が多く残されており、土岐市のウェブサイトには「中馬街道散策マップ」が公開されています。

世界一の美濃焼こま犬 曽木の集落を過ぎると旧街道は再び北の山の中に入っていきます。舗装されていない道を進むと、また車が入れない道となります。雪の残る道を徒歩で東に進んでいくと瑞浪市に入ります。「呼ばり坂」や「乱曾坂」と呼ばれる坂道を下っていきます。この辺りの旧街道は笹が腰丈まで生えており、進むのが困難となります。
 大川乱曽から車に戻り、国道とその脇道を行ったり来たりしながら東に進みます。国道363号と国道419号の合流点には「世界一の美濃焼こま犬」があります。また近くには「世界一の茶つぼ」こと「豊穣の壺」があります。ここ大川は焼き物が盛んであった地域であり、今でも街道沿いには製陶所がいくつかあります。
 大川交差点で国道を外れ、川を渡ると水上の集落に入ります。陶町水上の交差点から国道は北に向かいますが旧街道はそのまま東に進み、宿場町であった猿爪の集落に入ります。猿爪は今でもこの辺りでは比較的大きな集落です。

日本大正村 陶町猿爪の交差点で国道363号に戻り、吹越の峠を越えると恵那市に入ります。吉良見の集落では一旦国道を外れますが、その先からは国道を走り、大川の集落を過ぎると中馬街道最大の宿場町であった明知に入ります。明知は現在では「日本大正村」という町全体が一種のテーマパークとなっています。大正村では昼食にこの地方の名物である五平餅を食べます。
 大正村内の旧街道は逆向きの一方通行のため逆から撮影します。ここから国道363号とは分かれ、県道33号を東に進みます。途中、明知城にも立ち寄ります。明知城は1200年代に明知遠山氏が築城したといわれ、戦国時代には織田信長と武田勝頼との間で激しい争奪戦が繰り広げられました。

大馬渡峠 県道33号に戻り東に進みます。旧東方村高波から旧街道は一旦高波川沿いに北上します。中切の集落から再び東に向かい山の中に入っていきます。途中からは車両通行止めとなっているため、徒歩でこの先にある大馬渡峠を目指します。大馬渡峠も「中馬馬子唄」の歌詞に登場する難所の一つです。雪の残る林道を上っていくと再び県道33号に合流し、大馬渡峠の頂上に出ます。この先は次の集落である上矢作漆原まで標高差250mを超える下りとなりますが、時間も遅くなったため後日撮影とします。
 日付を改め、大馬渡峠の頂上から大馬渡坂を下っていきます。道は途中で水が流れ込んでいる所や崩落している所もあり、決して安全な道ではありません。しかし旧街道沿いには馬頭観音や「馬の水飲鉢」などが残されており、歴史を感じさせます。 

飯田街道追分 峠を下り終え、現在の上矢作町を走ります。国道257号を東に渡り旧上村を過ぎると、今度は大桑峠に向かう標高差約250mの上り坂となります。車1台がやっと通れる道を上り、峠の頂上に着くと愛知県豊田市となり大桑の集落に入ります。そこからは標高差約200mの下りとなります。下り坂の途中で長野県下伊那郡根羽村に入ります。そのまま坂を下りきると現代の飯田街道である国道153号に合流します。飯田街道を少し東に進むと杣路峠を越えてきた旧飯田街道と合流します。国道沿いにある道標には「右 いわむら あけち 左 みかわ あすけ おかさき なごや」などと書かれています。

HOME
Page top