FIAT500で伊勢街道を行く
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江戸時代、「お陰参り」が一大ブームとなった際、江戸方面から伊勢神宮に向かう場合は東海道で西を目指し「日永の追分」から「伊勢街道」と呼ばれる道を南下するルートがよく利用されました。今回はこの伊勢街道を走ってみます。
今回の旅は三重県四日市市にある「日永の追分」からスタートします。東海道と伊勢街道の追分であるこの地には伊勢神宮の遥拝所があり鳥居が立っています。かつて東海道を行く旅人は、伊勢神宮まで参拝しに行く時間がない場合はここから伊勢神宮に向かって拝んでいたそうです。現在は交通量も多く周りはかなり都市化されていますが、湧水が湧いており私が立ち寄った際にも入れ替わり立ち替わり水を汲みに来る人がいました。
国道1号を南下し大治田一の交差点からは県道103号となります。内部川を渡ると県道を西に外れ旧河原田村に入ります。県道に戻ると鈴鹿市に入ります。JR関西本線の線路を渡り、高岡橋で高岡川を渡ります。かつて古い高岡橋があった所には常夜灯が残されています。条里制の影響を受けた碁盤の目状の道を通り過ぎると神戸の集落に入ります。神戸にはかつて「神戸の見附」と呼ばれた門があり、夜間は閉じられていたそうです。神戸の古い街並みを通り過ぎ近鉄鈴鹿線の線路を渡ると現在の鈴鹿市の中心地に入っていきます。
進路を南東に変え伊勢鉄道と国道23号を越えます。この辺りの伊勢街道にはあまり古い街並みは残されていません。さらに進み近鉄名古屋線の線路を越えると伊勢湾に面した江島(江嶋)の集落に入ります。伊勢湾に沿って南西に進路を変え、伊勢街道の宿場町であった白子の集落に入っていきます。白子の伊勢街道は古い建物も多く残され、道は旧街道らしく曲尺手が続きます。途中コースを外れ、伝統産業会館に立ち寄ります。伝統産業会館では白子の伝統産業である「伊勢形紙」に関する展示がされており無料で見学することができます。「伊勢形紙」は着物などを染色するための形紙で、彫刻刀で切り抜かれた繊細な模様が特徴です。また近くの白子海岸からは対岸の知多半島が望めます。
本来のルートに戻り、堀切川を渡り旧栄村磯山の集落に入ります。ここからは国道23号に沿って南に進みます。国道に戻り中ノ川を渡ると三重県の県庁所在地である津市に入ります。国道を東に外れ千里の集落を通り、今度は国道を西側に渡って旧上野村に入ります。上野にもかつては伊勢街道の宿場がありました。また国道を東に渡り中瀬の集落を走り、また西に戻って旧栗真村小川の集落に入ります。旧栗真村中山辺りでは一部旧街道は喪失していますが、旧栗真村町屋には巡礼道と呼ばれた道との追分に常夜灯が残されています。
国道に戻り志登茂川を渡って現在の津市の中心地に入っていきます。JR及び近鉄津駅周辺は開発が進み、古い街並みはほとんど残っていません。安濃川を渡り、津城の城下町として栄えていた旧塔世村に入ります。以前はアーケードのあった商店街は車両通行止めのため徒歩で撮影します。途中「津観音」に立ち寄ります。津観音は日本三大観音の一つに数えられ、かつては「津に参らねば片参り」とも言われました。また近くには「天むす」発祥の店とされる「千寿」があります。
車に戻り、岩田からは国道を南東に外れます。津興と阿漕の集落を越えると今度は国道を西に渡り旧藤水村垂水の集落に入ります。高茶屋でJR紀勢本線の線路を渡り雲出の集落に入っていきます。雲出にもかつては伊勢街道の宿場がありました。雲出川を渡り松阪市に入ります。川を渡ってすぐのところにある「松浦武四郎誕生地」に立ち寄ります。幕末の偉人である松浦武四郎は「北海道(北加伊道)」の名付け親と言われており、探検家や作家、浮世絵師など多くの肩書を持ちますが、とくにアイヌ民族の研究は有名です。
伊勢街道を南下していき、中林には奈良方面から伊勢神宮に向かう「奈良街道」との追分である「月本追分」があります。さらに南下し三渡川を渡ると今度は奈良の長谷方面から伊勢神宮に向かう道である「初瀬街道」との追分があります。さらに南下し市場庄の集落では妻入と連子格子の古い建物が見られるようになります。
JR名松線(紀勢本線)を渡り、県道24号に出て松阪城の城下町に入っていきます。織田信長の人質であった蒲生氏郷は、その才能を見染められて後に信長の次女を娶り、
本能寺の変後にこの地に松坂(松阪)城を築城しました。また以前はもっと海沿いを通っていた伊勢街道を城下町に引き込み街を発展させました。
松阪から先はまた南東に向かいます。上川から豊原にかけても連子格子の家が見られます。旧櫛田村で櫛田川を渡り早馬瀬の集落に入ります。
祓川の手前で多気郡明和町に入ります。旧斎宮村では「斎宮」に立ち寄ります。「斎宮」とは飛鳥時代ごろから「斎王」の宮殿などがあったところです。斎王とは天皇の代わりに伊勢神宮の天照大神に巫女として仕えた未婚の皇族女性のことです。かつてこの地は碁盤の目状に道路が走り、100棟以上の建物と斎王に使える500人以上の人々が生活していたそうです。
伊勢街道に戻り、上野、明星の集落を通り抜けます。新茶屋を過ぎると伊勢市に入ります。明野からは進路を南に変えます。「へんば餅」の「へんば屋商店本店」の前を通り過ぎ伊勢までの最後の宿場である旧小俣村に入ります。本来の伊勢街道は「桜の渡し」で宮川を渡りますが、宮川橋で渡り伊勢神宮の外宮のある山田の集落に入っていきます。県道22号を南東に走ると豊受大神宮、通称「外宮」の前に出ます。しかし、しきたりとして伊勢神宮を参拝するにはまず二見浦で身を清める必要がるため、一旦素通りして二見浦に向かいます。二見興玉神社に参拝したところで暗くなってきたので伊勢神宮への参拝は翌日にします。
翌朝、伊勢神宮の外宮に参拝します。外宮は衣食住を司る豊受大御神を祀っています。
伊勢神宮の正しい参拝順序は外宮から内宮なので、順序どおり内宮を目指します。外宮の前から伊勢街道を南東に走ります。古市にはかつて日本三大遊郭の一つであった
「古市遊郭」があり、伊勢神宮の参拝を終えた旅人はここで精進落としをしたそうです。伊勢自動車道を越え、牛谷坂と呼ばれる坂を下ります。県道32号を東に走り内宮のある宇治に入ります。内宮の門前町である「おはらいまち通り」通称「おかげ横丁」はまだ早朝なので車で通行することができます。おかげ横丁の突き当りに内宮の鳥居があります。
内宮は正式名称は「皇大神宮」であり、天照大神を祀っています。外宮と合わせて日本の神道の頂点であり、「日本国民の総氏神」とされています。
内宮に参拝した後は伊勢志摩スカイラインで朝熊山にある金剛證寺にも参拝しました。江戸時代には「朝熊かけねば片参り」とも言われ、お陰参りとセットで参拝されました。