FIAT500 旅ChannelFIAT500で挙母街道を行く

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 「挙母(ころも)」とは現在の豊田市にある地名です。元々は挙母村が挙母市となり、1959年に豊田市となりました。名古屋から信州方面に向かう「飯田街道」から分岐して、挙母の城下町を経由して新城市方面に向かう道は「挙母街道」と呼ばれ、かつては尾張と三河を結ぶ重要な街道の一つでした。今回はこの「挙母街道」を走ります。ゴールは徳川家、松平家の発祥の地である豊田市の「松平郷」です

長久手古戦場 旅のオープニングは長久手市の「長久手古戦場」です。本能寺の変後、織田信長の後継者争いを機に勃発した「小牧・長久手の戦い」において、この場所は豊臣(羽柴)秀吉の軍と徳川家康・織田連合軍が激突した戦場の一つとされています。この戦場での結果は徳川家康側の勝利でしたが、戦全体の勝敗は和睦によりあいまいに終わりました。さて、今回走る挙母街道はここ長久手市を通っているわけではありませんが旧挙母村、後の豊田市を走るにあたり事前に立ち寄りたいところがあったため来ることにしました。

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 力石名古屋線を東に走ります。道と並行して頭上には東部丘陵線、通称リニモが走っています。長久手古戦場から10分ほどで「トヨタ博物館」に到着します。
 「トヨタ博物館」には歴代の世界の名車が保存されており、約140台ほどが展示されています。TOYOTA車以外の国産車や外車も多く展示されているため、自動車が好きな人は楽しめる施設です。また夏休み中は小学生は無料で入館できるためこの日も多くの家族連れが訪れていました。私が今回見たかったのは私の愛車であるFIAT500の祖先です。まず一世代前、2代目の「ヌォーヴァ 500D」はルパン三世が映画で乗っていたことでも知られる車です。そしての初代である元祖「500」はトッポリーノ(ハツカネズミ)の愛称で親しまれた車です。
 お盆を前に愛車の先祖に会ったところで今日の目的である「挙母街道」を走ります。

赤池交差点 日進市の飯田街道から今回のドライブはスタートします。赤池交差点で挙母街道は飯田街道から南に分岐します。名古屋市営地下鉄鶴舞線の終点である赤池駅付近は開発が進み古い街並みは残っていません。赤池2丁目交差点から国道153号、豊田西バイパスを東に走ります。しばらくすると東郷町に入ります。愛知県の名前の由来である「愛知郡」に現在属する唯一の自治体です。国道の南には名古屋ゴルフ倶楽部和合コース(通称和合ゴルフ場)があり、挙母街道はこの敷地内を通っていました。
 牛廻間交差点を右折し国道から外れ県道218号を走ります。神ノ木交差点を過ぎてからは県道から一本はずれた側道を走り、和合の集落を通り抜けます。和合交差点を右折し北山台の切り開かれた住宅街を通り抜け、北山台5丁目の交差点で国道を南から北に渡ります。ここから豊田市の中心部まで県道520号を走ります。豊田西バイパスができるまではこちらの道が国道でした。諸輪の集落には諸輪下城跡がありますが、現在は普通の公園となっています。

宮口代官屋敷伝承地  境川を渡り尾張から三河に入ります。川を渡ってすぐにみよし市に入ります。莇生町で県道から外れ、坂道を上り東名高速道路を越えます。潮見(汐見)あたりで挙母街道は藪の中に消えています。大回りをして反対側に回り込み、細い道は徒歩で撮影をします。ここからは豊田市に入ります。旧宮口村を通り抜け逢妻女川を渡り、宮上6丁目の交差点で県道の一本北側の道を通ります。この坂道は江戸時代に宮口代官屋敷のあったため「代官坂」と呼ばれます。

挙母城(桜城)跡  宮上町、小坂町は逆向き(西←東)の一方通行があるため、逆から撮影します。小坂町では常夜灯などの古い建造物を少し見ることができます。小坂本町から現在の豊田市の中心部を通ります。まず愛知環状鉄道の新豊田駅のそばを通り、次に名鉄三河線の豊田市駅の付近を通ります。名鉄三河線の高架をくぐりそのまま東に進んでいくと、挙母城の城下町になります。元城町にある「桜城址公園」には初代挙母城・通称「桜城」の隅櫓の石垣が残っています。この地域は水害が多かったため、城は1785年頃にここより西の高台に移転され「七州城」と呼ばれました。

豊田スタジアム  再び国道153号に出ますが、挙母町1丁目交差点から国道153号は北に向かい、東に向かう道は国道301号となります。矢作川を渡り、左手にはJリーグ名古屋グランパスエイトの本拠地である豊田スタジアムが見えてきます。
 森町から志賀町まで挙母街道はこのまま国道301号を走るルートと北側の美里、宝来町を通るルートに別れます。1900年代以降は現在の国道がメインルートとなりますが、明治時代の地図を見ると北側のルートが太く示されているためそちらを走ります。もっとも森町を過ぎ美里、宝来町辺りには古い街並みは一切残っていません。宝来町4丁目交差点を過ぎると一気に山が近くなります。古瀬間城跡の前を通り一旦国道301号に戻りますが、すぐに側道に入ります。東海環状自動車道の下をくぐり再び国道301号に戻ります。

松平郷  松平橋から先、現在は「松平バイパス」ができており松平郷までの近道ですが旧街道を走るため右折し巴川の右岸を走ります。この道は以前に走った「足助街道」を兼ねています。港橋で九久平に渡りここからは巴川の支流である滝川沿いを東に走ります。しばらく走り先ほど別れた国道301号と再合流します。所々国道から外れた側道を走りながら東に進むと松平郷に到着します。

松平城跡 松平郷には徳川家・松平家の始祖とされる松平親氏を祀る松平東照宮や松平家の菩提寺である高月院があります。一通り見学した後、駐車場に車を停めて松平城址に登ります。松平城は松平親氏が築いたといわれる山城です。頂上までの道のりはそれほど遠くはありませんが、この日の外気温は38度であったためフラフラになりながら登りました。


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