
(画像はマウスオーバー又はタップで拡大できます)
愛知県碧南市の大浜湊は古くは鎌倉時代から、三河湾でとれる海産物や塩、醤油などを各地に運ぶ海運で栄えていました。この大浜湊を起点とする「大浜街道」と呼ばれる道は複数存在します。今回は車でも走ることができる池鯉鮒宿へ続く道を走りました。 まず起点となる大浜湊ですが、現在は周辺の埋立が進んだため正確な当時の場所はわかりません。なのでGoogleマップが指す最南端である矢作川の河口からスタートします。
堤防道路から降り、旧棚尾村の集落に入っていきます。朝市でにぎわう毘沙門天の前を通り過ぎ、東へと進んでいくと旧大濱村にある港橋北交差点にたどり着きます。大浜街道はこの交差点を右折ですが、現在の大浜漁港を少し見るため直進します。大浜漁港のすぐそばには大浜稲荷社があります。本能寺の変の際に徳川家康が三河に帰還するため「伊賀越え」を敢行し、海を渡った際にたどり着いたのがこの場所であると言われています。私が行ったときにはNHK大河ドラマのおかげで注目されたのかスタンプラリーが行われていました。
本来の大浜街道に戻り、現在の県道50号を北上していきます。すぐ左手に九重味醂の黒い建物が見えてきます。三河味醂の老舗で、敷地内には直売所や、みりんを使ったスイーツを楽しめる「K庵」があります。
再び県道50号を北上していきます。愛知県唯一の自然湖沼である油ヶ淵を水源とする新川を渡った後は、メインの通りから一本西側の道が大浜街道となります。旧北大濱村内を通る道沿いには、旧街道らしく地蔵や祠、常夜灯が頻繁に見られます。
同じく油ヶ淵から注ぐ高浜川を渡ると高浜市に入ります。県道46号に入り、衣浦大橋の東側、体育センター東交差点から先は道が細くなります。「鬼みち」と呼ばれる一方通行の道を左折して西に進むと「かわら美術館」に到着します。昔から高浜市は三州瓦の生産が盛んで、かわら美術館は瓦をテーマとした日本唯一の美術館です。また近くの観音寺には日本最大の陶製の観音像が立っており、この辺りは散策路となっているため見どころはいくつかあります。
大浜街道を北上していきます。国道419号を渡り、清吉坂と呼ばれる十字路を右折、さらにその先のY字路を左折して細い道を進んでいくと、一方通行のため迂回する必要があります。一旦西に向かって左折しますが、その正面には大山公園と春日神社があります。桜の名所としてこのあたりでは有名で、桜の咲く季節にはライトアップもされます。また春には疾走する馬に人が飛びつく駆け馬神事「おまんと祭り」が行われます。
県道50号を挟んで向かいの細い道を進むと名鉄三河線の踏切を渡ります。国道419号の下をくぐり北上していくと吉浜地区に入ります。かつては養鶏が盛んな地域であり、廃鶏を利用した「とりめし」は高浜を代表するB級グルメです。また昔から人形作りも盛んであり、節句人形でおなじみ「吉浜人形」があります。街角には有志が作った人形が飾られており「人形小路」という散策路となっています。
吉浜地区を抜けると西に進み、名鉄三河線を再度渡って県道50号を北上します。しばらくして刈谷市に入ります。刈谷市に入った後すぐに県道50号から一本東側の道に入り旧小垣江村集落内を北上していきます。この通りにも地蔵や祠があり旧街道の歴史を感じさせます。 この旅初めての片側二車線の道路に突き当り猿渡川を渡ります。残念ながらここから先しばらくは、旧街道を思わせるような街並みはほぼありません。御幸町、元中根町の交差点を北上し、右折して中央公園の北側の細い道に入ります。ここからは東に向かって進んで行きます。この辺りは明治時代くらいまでは刈谷町の中心街でした。
毎年「万灯祭」が行われる秋葉神社の前を通り過ぎ、新栄町北交差点に至りますが、この先は一方通行で侵入禁止のため反対側から回り込みます。再び東に進み、トヨタ紡織本社前の東陽町交差点を過ぎると、再び逆向きの一方通行となります。一旦、県道51号を中山町交差点まですすみ反対側からJR,名鉄刈谷駅前のアクアモールと呼ばれる歓楽街を通り、JR東海道本線の踏切を渡ります。
中山町交差点からは北東に向かって進んでいきます。東海道新幹線の高架の少し手前で知立市に入ります。そのまま進んでいくと鳥居二丁目交差点に出ますが、大浜街道はメインロードの国道155号に沿うように走る一本東側の道のため右折し回り込みます。 名鉄名古屋本線の踏切を渡り、刈谷道交差点を過ぎると東海道と交差します。ここにきてやっと旧街道らしい建物がみられるようになります。このすぐ東の通りには池鯉鮒宿本陣跡があります。
少しだけ東海道を西に走り、国道155号の高架下をくぐるとゴールの知立神社に到着です。