FIAT500 旅ChannelFIAT500で佐屋街道を行く

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 東海道で唯一の海路区間である名古屋の宮宿と三重県の桑名宿間は「七里の渡し」で結ばれていました。しかし当時の航海技術 では海難事故のリスクもあり、おまけに海が荒れた際には何日も足止めをくうため宿代もかさみました。そこでこの海路区間を迂回するために重宝されたのが「佐屋街道」です。
 名古屋市熱田区、堀川沿いにある「宮の渡し公園」から今回の旅はスタートします。まずはここから東海道を通り熱田神宮を目指します。 熱田神宮の正門前を東に進み大津通こと県道226号を北上していきます。ただ昔のルートとしては国道22号を通るべきだと思います。

 金山橋南交差点を左折して名古屋第二のターミナル駅である金山総合駅前を通りすぎ、金山新橋南交差点まで西に進みます。この交差点の南西にあるファミリーマートの前に佐屋街道起点の石柱が建っています。西の方から見て「左 なこや、右 宮湊」と書かれています。ここからは県道115号、津島七宝名古屋線を西に進んでいきます。

岩塚宿の街並み 堀川を渡ると名古屋市中川区に入ります。名古屋高速の下をくぐり尾頭橋商店街を通り抜けていきます。この辺りは名古屋駅の東側に比べても高い建物が少なく 下町情緒を感じさせる街並みです。東海道新幹線の高架をくぐり、中川運河を越えます。長良町3の交差点で県道155号は北に向かいますが、佐屋街道はそのまま西へ直進します。 あおなみ線、JR関西本線、近鉄名古屋線の高架をくぐると名古屋市中村区に入ります。
 そしてしばらく走ると佐屋街道第一の宿場町・岩塚宿に入ります。とはいっても住所が岩塚であるだけで宿場町の雰囲気はほぼ残っていません。 庄内川の堤防道路にぶつかる一つ手前の十字路を右折し、再び県道115号に出て万場大橋で庄内川を渡ります。

万場の渡し跡 橋を渡り終わったらすぐに左折して堤防道路に入ります。そしてこの堤防道路の下に小さな秋葉社がありここに「万場の渡し」の跡が残されています。ただしこれは後年に移設されたものです。堤防道路を降りると第二の宿場町、万場宿に入ります。岩塚宿に比べれば少しは旧街道らしさを感じられます。
 万場宿の西突き当りの三叉路を右折し西に向かって進み、万場交差点で県道115号を渡ります。少し北に進むと、海部郡大治町に入ります。砂子橋を渡り県道117号を道なりに北上していくと、交差点に佐屋街道の高札場の碑があります。ただし高札場の名残は特に残っておらず代わりに庚申堂というお堂があります。
 高札場跡を左折し西に進み、名古屋第二環状自動車道の下をくぐります。一旦、住所的に名古屋市中村区に戻る手前に千音寺一里塚の碑がありますが、ここも碑があるだけで周辺は民家です。

神守宿碑  県道117号が大きく右カーブを描き北上し、県道68号を渡り狐海道東交差点を左折してまた西に進んでいきます。そして福田川を渡るとあま市に入ります。合併前は七宝町と呼ばれていた地区です。 あま市内はひたすら道なりに西に進み、蟹江川を渡ると今度は津島市に入ります。神守町交差点の近くに「神守の一里塚跡」があります。神守下町交差点を右折し少し北上すると第三の宿場町・神守宿に突き当たります。先の二つの宿場町に比べても宿場町らしさが残っています。

津島街道追分 ここからは津島街道の下街道も兼ねており、津島神社方面である西に向かって進みます。大坂の陣の際に徳川家康も渡ったといわれる日光橋を渡り、この地域のローカルチェーンスーパー「ヨシヅヤ」本店を通り過ぎ、 ケンタッキーフライドチキンを過ぎたところで、一本南の道に入ります。このあたりは津島街道と佐屋街道の「埋田追分」で、常夜灯、切断された鳥居の足、そして道標が残っています。道標には「左さやみち、右つしまみち」と標されています。ここから先は佐屋宿に向かって南下していきます。

佐屋海道碑  しかしこの先、南にある愛宕神社のあたりまでは区画整理により佐屋街道は喪失しています。愛吾神社からは名鉄日置駅方面に南西に進んでいきます。途中、愛西市に入ります。 名鉄日置駅付近からはまた佐屋街道は喪失しているため、なるべく昔からありそうな道を選んで西に進んでいきます。県道458号を南下していくと左手に佐屋街道の址碑が建っています。表記は古い「海道」が使われています。 そのまま南下を続け、須依交差点を右折すると佐屋宿に入ります。この辺りでは宿場町らしい町並みが今もみられます。

三里の渡し跡碑   佐屋宿跡には佐屋代官所跡の碑、そして佐屋三里の渡し跡の碑があります。佐屋街道はこの先は桑名宿まで渡し船で下ることになるので車で行けるのはここまでです。


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