FIAT500 旅ChannelFIAT500で瀬戸街道と水野街道を行く

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 名古屋と信州を結ぶ「下街道」と呼ばれた道から東に分岐する「瀬戸街道」。かつては尾張の沿岸でとれた塩を信州方面に、瀬戸の焼き物を名古屋に運ぶのに使われた道です。今回はこの瀬戸街道を西から東に走ります。ゴールは瀬戸市の「窯垣の小径」です。
 また瀬戸街道からさらに分岐して瀬戸市の定光寺に向かう「水野街道」と呼ばれる道があります。帰りは定光寺からスタートしこの水野街道を西に戻ります。

下街道道標 今回の旅のスタートは名古屋市北区大曽根からです。現在は「オゾンアベニュー」という名前になっているこの通りは、かつては大須、円頓寺と並ぶ名古屋の3大アーケード商店街でした。そして名古屋から中山道に向かう「下街道」の一部でもあります。地下鉄大曽根駅の出口付近には古い道標と説明書があります。瀬戸街道は飯田方面にむかう「もう一つの飯田街道」の一部でもあるため「右 いゐたみち」と標されています。ただしこの道標自体は他の場所から移設されたものだと思われます。

山田天満宮 下街道を少し走り、東大曽根交差点を南から北に超えたら一本目の角が瀬戸街道との追分です。右折し東に進みます。本来の瀬戸街道はそのまま東に進みますが「山田天満宮」に寄り道します。山田天満宮は名古屋の三大天神の一つで菅原道真を祀っています。ここにある「銭洗い」は小銭を洗うと金運がアップすると言われています。また宝くじを洗うと高額当選が期待できるらしいのでジップロックにいれて事前に買ったロト6を持ってきました。えびす像とだいこく像に3回ずつ水をかけて、その流れ出た水で宝くじを洗います。山田天満宮にはその他にも「黄金ねずみ」や「撫で牛」など開運効果がありそうなものが多くあります。

龍泉寺 瀬戸街道に戻り、名鉄瀬戸線とJR中央線の高架をくぐります。瀬戸街道は終点尾張瀬戸駅のある瀬戸市内まで名鉄瀬戸線に並走します。矢田で県道15号と県道61号の重複区間に出ます。この道は現代の瀬戸街道と言われている道です。東に進み矢田川を越えて名古屋市守山区に入ります。ガイドウェイバス「ゆとりーとライン」の高架をくぐり、名鉄小幡駅前まで東に進みます。瀬戸街道は小幡交差点をそのまま東に進みますが、龍泉寺に寄り道するために左折します。龍泉寺は「尾張四観音」の一つで、名古屋城の鬼門に当たる方角を守っています。1回拾円で鐘を突くことができるので突いておきます。

 小幡交差点から瀬戸街道に戻ります。ここからは県道61号の単独区間となります。名鉄瀬戸線の線路を渡り、名二環を越えて大森地区に入ります。大森三交差点の手前では、県道から左に入った道が旧瀬戸街道となります。

つんぼ石  東名高速道路の高架をくぐる手前で尾張旭市に入ります。ここからは県道の南を並走する道が旧瀬戸街道です。途中にある澁川神社は1,000年以上の歴史があり湧き水が湧いていたため、かつて瀬戸街道を行き来する人や馬はここで休憩したそうです。
 印場東交差点までは旧瀬戸街道は喪失しているため印場交差点から県道に戻ります。県道を東にすすみ砂川交差点近くにある砂川公園には「つんぼ石」があります。かつてはこの付近に今回の旅の復路で走る「水野街道」の追分がありました。水野街道は名古屋城の石垣を築くために切り出した石を運ぶためにも使われました。その際に荷車からこぼれた石を荷車に戻すのが難儀であったためそのままにし、大名が村人に口止めし、村人も聞かれても耳が聞こえないふりをして語らなかったといわれています。これが「つんぼ石」の由来と言われています。

 砂川交差点から200メートルほど国道を東に進んだ後、また南側の側道が旧街道となります。この通りには国の登録文化財の建物も残っており、今でも瀬戸街道の昔の雰囲気がある数少ない通りです。

瀬戸銀座通り商店街  県道に戻り東に進み、北原山交差点付近からは県道から外れて北東に進む道が旧街道となります。名鉄瀬戸線の線路を南から北に渡り少し進むと瀬戸市に入ります。しばらく進むと旧街道はまた名鉄瀬戸線の南側となりますが、ここでは線路が渡れないため次の踏切まで迂回します。県道61号ではなく名鉄線沿いの細い道を東に進み、追分交差点で国道155号にでます。瀬戸橋西交差点付近で名鉄瀬戸線は終点となり、道は旧瀬戸村の中心部に入っていきます。東本町交差点を左折して少し寄り道をします。まずは旧瀬戸村に古くからある深川神社に参拝します。そして近くの「銀座通り商店街」を歩きます。アーケードのある昔ながらの商店街で、趣があります。

窯垣の小径  往路のゴールである「窯垣の小径」に向かいます。途中の道も歴史を感じさせる個人商店などが残されており昔の雰囲気を感じることができます。10分ほどで「窯垣の小径」に到着し、車を降りて歩きます。窯垣とは古い窯道具などを積み上げて作った垣や塀のことで、散策コースの壁は特徴的なパターンとなっています。途中にあるギャラリーは閉まっていましたが、資料館では当時の生活を再現した展示を見ることができます。

定光寺
 復路の水野街道は瀬戸市の北部にある定光寺からスタートします。尾張徳川家の開祖である徳川義直の廟所がある寺ですが通路が工事中であったため廟所の見学はできませんでした。水野街道は歴代の尾張徳川家の藩主が義直の墓を参るために利用したため「殿様街道」とも呼ばれます。
 まずは山を下っていきます。本来の道は寺の正門に続く石段の参道です。定光寺公園の前を通り過ぎ山深い道を下っていきます。

旧水野街道 アーチェリー場付近から、本来の水野街道は車の通れないハイキングコースとなるため徒歩で撮影します。一応足元は石が固定されていますが、凹凸が激しく足をくじきそうな道です。野生動物の目撃例もたびたびあるらしいので通行には注意が必要です。
 山道を抜けて車に戻ります。水野街道の名前の由来である旧水野村を通り過ぎ、愛知環状鉄道を越えて国道155号に出ます。この先は旧街道らしい街並みはほぼなくなります。愛知森林公園から旧街道は喪失しており、柏井町付近からまた旧街道となります。濁池の堤防を通り旧新居村に入ります。新居町交差点を西に進み、左の細い路地を進んでいくと水田に突き当たります。この先水野街道は名鉄瀬戸線の南側、行きに通った瀬戸街道の砂川交差点付近まで続いていましたが現在は喪失しています。今回の旅のゴールである新居城跡のある城山公園に向かいます。

新居城跡
 公園にある城は「旭城」で、新居城の模擬天守です。新居城は新居村を拓いた水野氏の城です。新居城跡は現在土塁のみが残されています。
 山田天満宮の「銭洗い」で洗ったロト6の結果は動画をご覧ください。


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