FIAT500 旅ChannelFIAT500で新東海道と百曲街道を行く

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 江戸時代には伊勢湾の干拓が進み、熱田新田など多くの新田が作られました。明治になるとこの新田を通り熱田宿(宮宿)~桑名宿間を陸路で行き来できる道が敷かれました。それが「新東海道」です。今回はこの新東海道で名古屋から三重県の桑名宿まで走ります。ただ庄内川以東の新東海道は、現在は「東海通」というただの一直線の幹線道路です。なのでこの区間は当時の堤防上にあった「百曲街道」と呼ばれる道を走ります。

十・十一番割観音堂 オープニングはナゴヤ球場からです。本来の百曲街道は名古屋城の城下町の門前町交差点で下街道や美濃路と呼ばれる道から西に分岐します。しかしその辺りは普段見慣れている名古屋の町並みなので、JR尾頭橋駅付近からスタートします。ナゴヤ球場から東に向かいJR東海道本線の南から百曲街道を走ります。ほぼ直線の道を南下していき、地下鉄六番町駅の少し北で西に入ります。干拓によってできた熱田新田は管理のために33区画に分けられ番号が振られました。現在も一番から十一番までは地名として残っています。そしてその番割ごとに観音堂が置かれました。現在は移設され一か所にまとめられているところもありますが、一番から三十三番まで存在します。「十・十一番割観音堂」の前を通り、十一番町交差点で国道1号線に出ます。

二十九・三十・三十一・三十二番割観音堂  昭和橋で中川運河を渡り国道1号線の一本南の百曲街道に戻ります。途中、名古屋環状線辺りでは一部旧街道が喪失しています。名古屋市中川区と港区の境界である旧街道を西に進んでいくと、港区明正1丁目には「二十九・三十・三十一・三十二番割観音堂」があります。そのまま西に進むと庄内川の左岸堤防に突き当り、ここで百曲街道は終了します。最後の三十三番割観音堂は庄内川対岸の中川区下之一色にあります。

 庄内川と新川を渡り新川沿いに少し南下します。東福田新田からは新東海道を走ります。道はしばらくは直線でまっすぐ西に向かいます。名古屋第二環状自動車道を越え戸田川を渡ると西福田新田に入ります。西福田にはかつて新東海道の駅(宿場)が置かれました。

津金文左衛門胤臣の像  蟹江川を渡ると名古屋市を抜けて海部郡蟹江町に入ります。日光川・善太川と立て続けに川を渡り弥富市に入ります。善太川沿いに南下し、亀ヶ地から本来のルートは県道の脇道に入ります。しかし寄り道をするためにそのまま南下していきます。海部郡飛島村に入り、元松神社に立ち寄ります。元松神社にはここ飛島新田開発の指揮をした津金文左衛門胤臣の像が建っています。その難工事を成し遂げた後、藩の財政を立て直すための熱田前新田開発にも取り掛かり、わずか6カ月で完成させといわれています。しかし一方では新田開発による藩の財政逼迫の責任を取り割腹したとも言われています(あくまで説)。

日光橋食堂の牛すじ定食  少し南下して飛島村役場にも立ち寄ります。飛島村は「日本一の金持ち村」としてしばしばテレビでも取り上げられます。かつては水害も多く貧しい村でしたが戦後には臨海工業地帯が作られ、莫大な固定資産税が入ってくることになり裕福な村へと一転しました。
 飛島村の名四(国道23号)沿いにある日光橋食堂でランチを食べます。牛すじ定食を頼みましたが柔らかく煮込まれた牛すじは味噌味でご飯にとてもよく合います。

弥富市歴史民俗資料館 弥富市の亀ヶ地に戻り、かつて十四山村であったエリアの新東海道を西に走ります。旧街道は県道から一本外れた道です。「こどもの国北」交差点からは筏川沿いを北西に進みます。平島エリアに入り、途中旧街道は一部小学校の敷地となっています。さらに西に進んでいくと前ヶ須に入ります。新東海道はここ前ヶ須と熱田を結んだため「前ヶ須街道」とも呼ばれます。前ヶ須新田交差点を右折して弥富市立図書館に立ち寄ります。弥富市立図書館には「弥富市歴史民俗資料館」が併設されており、弥富市で生産が盛んな金魚が展示されています。
 前ヶ須新田交差点から新東海道に戻り、今度は前ヶ須蓮如堂に立ち寄ります。前ヶ須蓮如堂には新東海道の敷設に尽力した村田宗之介の墓があります。

長島水辺のやすらぎパーク  新東海道に戻り西に進むと「ふたつやの渡」跡に付きます。本来のルートはここから対岸の長島に渡し舟で木曽川を渡ることになります。尾張大橋で木曽川を渡り三重県桑名市に入ります。かつて長島輪中であった長島の中心地を走ります。長島川の西にはかつては長島城がありました。長島川の左岸を走り「長島水辺のやすらぎパーク」に立ち寄ります。ここには明治時代に建てられた「久我家」の家屋がほぼ原形で残っており、無料で中を見学することもできます。また周りは庭園や散策路となっており、ちょうど河津桜がきれいに咲いていました。
 この近くにある願證寺(願証寺)にも立ち寄ります。願證寺は「長島一向一揆」の拠点となった寺です。一揆は最終的には織田信長によって制圧され、約2万人が焼き殺されたとも言われています。寺には殉教者の供養塔があります。

長良川河口堰  再び長島川沿いを南下すると現在の長島の港に着きます。ここから本来のルートは再び渡し舟で対岸の桑名宿へ揖斐川を渡ることになります。現在は川の流れが変えられているため長良川となっています。長良川の左岸を北上し「アクアプラザながら」に立ち寄ります。「アクアプラザながら」は長良川河口堰に関する資料館で無料で見学することができます。長良川河口堰の上を歩いて渡ることもでき、また魚道を横から観察できる施設もあります。

伊勢国 一の鳥居 伊勢大橋で長良川と揖斐川を渡り、南下すると桑名宿の入口である「七里の渡し公園」の駐車場に着きます。熱田宿から七里の渡しや佐屋街道の三里の渡しでこの港に到着した旅人は「伊勢国一の鳥居」をくぐり、また陸路で伊勢神宮や京を目指すことになります。

 動画のエンディングでは知多郡阿久比町の「半田街道」を走っています。これで愛知県の全ての自治体に訪れたことになります。