FIAT500 旅ChannelFIAT500で田原街道を行く

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 愛知県豊橋市にある東海道、吉田宿。このかつての宿場町と渥美半島の先端、伊良湖岬を結ぶ道はいつからか田原街道と呼ばれています。元々は人々が日常的に使っていた道ですが、江戸時代以降、参勤交代や物流の必要性が出てきたため徐々に整備されていきました。

吉田城 今回の旅の始まりは、豊橋公園内にある吉田城からです。この城のすぐ下を流れる豊川に池田輝政が架けた橋が、現在の豊橋市の名前の由来です。
 豊橋公園内には神社があり初代天皇といわれている神武天皇像があります。神武天皇の容姿に関しては資料が乏しいため、明治天皇がモデルとなっているとのことです。撮影した日はちょうど建国記念日でした。建国記念日は神武天皇の即位した日であると言われているため、神社では式典が行われており、大勢の人がいました。

ヤマサのちくわ本店
 豊橋公園を出て南に進むと、すぐに東海道と交差します。吉田宿の碑を右折し東海道に戻り、西に進むと国道259号と交差します。この先、本日のゴールである伊良湖神社まで、基本的にこの国道259号に沿って進んでいきます。
 国道259号を越えてすぐに左折し南下すると、東海地方の人にはテレビCMでおなじみの、「ヤマサのちくわ」本店が見えてきます。朝7時から営業しているため、お土産を 購入します。外観は古風、店内は高級感があり、ちくわを買っただけなのにお茶を出してもらえました。

常夜灯 さらに南下していくと新川西交差点に出ます。ここから先、豊橋鉄道柳生橋駅付近までは旧街道は喪失しています。南松山北交差点から一旦国道259号に出て、南松山交差点から側道に入ります。豊鉄渥美線、柳生川、JR東海道本線を越え、線路沿いに南下していくと潮音寺にある常夜灯があります。この旅初めての旧街道らしい構造物です。東海道新幹線の高架をくぐり、旧福岡村の中を通っていきます。高師口北交差点からは、国道259号を走ります。左手には豊橋鉄道渥美線が走っており、この先終点の三河田原駅まで並走します。

高師緑地 空池南交差点からは国道の両サイドの高師緑地の松の木が広がります。田原街道は西側の高師緑地内を通っています。中央分離帯の切れ目から右折し高師緑地内を通る道に入り、緑地沿いを南下していきます。
 現在の地図上では国道259号が田原街道と表記されていますが、その道ができる以前からある向草間集落内を通る道を進んでいきます。この辺りから、田原街道を南西に向かいます。

 一旦国道259号に出て梅田川を渡り、その後国道より一本南側の道が田原街道となります。そのまま南西に進んでいき、老津山ノ神交差点から 旧老津村の集落に入っていきます。境橋北交差点から一旦国道に出て紙田川を渡り、国道の反対側にある天津の集落に入っていきます。 江戸時代に俳人の松尾芭蕉が伊良湖岬に旅をした際に、この天津について触れています。

東海漬物田原工場  天津の集落を抜けると、しばらくは国道259号を走ります。途中、田原市に入ります。2005年に渥美郡渥美町を編入したため、この先伊良湖岬までは田原市内です。 豊島東交差点を左折して蜆川沿いの道を走ります。ここには「きゅうりのキューちゃん」を作っている東海漬物の田原工場があります。

三河田原駅
 豊島駅北交差点からは少し北上し、国道259号よりも北の集落を走ります。ここまで来ると蔵王山などの山々がはっきりとみられるようになります。
 その昔、船倉湊があった汐川を渡り、田原市の中心地に入っていきます。渥美線の終点である三河田原駅の駅舎を見に立ち寄ります。駅舎の設計は表参道ヒルズなどを手掛けた安藤忠雄です。

加治の菜の花畑  田原街道に戻り寺下通りと呼ばれる道を走ります。この辺りは田原城の城下町であったため旧街道らしい街並みが見られます。
 県道28号の南を走る昔からある道を進んでいきます。途中「加治の菜の花畑」に寄り道します。渥美半島は菜の花の栽培が盛んで車で走っていても黄色い畑が頻繁にみられます。この日も菜の花にちなんだイベントが行われており盛況でした。
 大久保交差点を左折して県道28号を西に走り、大久保駐在所北交差点をすぎたあたりからは山沿いの道を走ります。ここからはかなり道が細くなり、途中道路が舗装されていない箇所もあります。さらに車も通れないほどの細い道もあるため、そういった道は徒歩で撮影しています。

山の中の田原街道 国道259号を東から西に渡り、旧野田村の集落に入っていきます。一旦国道259号に戻り、今度は七ツ山の中の道に入っていきます。道は細く両サイドは木々に覆われています。途中岩が崩れて道路に落石があるところもあるので慎重に進んでいきます。
 一旦山道を抜けると宇津江の集落に出ます。この辺りは区画整理がされており旧街道は残っていません。宇津江を抜けると再び山道に入ります。道路には落ち葉がありスリップしそうなので慎重に進んでいきます。そのうち視界が開け右手に三河湾が見えるようになります。

福江市民館 山道を抜けてからは国道259号を北に南にまたいで、江比間、伊川津の集落を抜けていきます。国道に出てしばらく走り高木交差点から福江町方面に西へ進んで行きます。免々田川沿いはかつて畠湊があった旧畠村です。海運が盛んであった時代には重要な港で街も栄えていたそうです。城坂と呼ばれる坂を上っていくと、畠村の陣屋があった福江公園と旧役場のレトロな建物の福江市民館があります。また集落には民宿や個人商店が軒を連ね、 かつてはこの街がにぎわっていたことがうかがえます。  

保美のキャベツ畑 免々田川を渡ってから、南西に進み保美の集落を抜けていきます。この辺りからは道沿いに広大なキャベツ畑がみられるようになります。もともとは慢性的に水不足に悩まされてきた土地ですが、1968年に豊川用水が通ってからは農作物の大規模生産が可能となり、渥美半島の西側にあった広大な西山砂丘もほとんどが畑となりました。今では田原市は、市町村別農業産出額は常に全国トップクラス(ほぼ一位か二位)、他の地域に比べて農家の所得も高く若者の就労者も多いこともあり、完全失業率の低さは全国一位です。

 西原交差点から国道259号に戻り少し南西に進んでから旧亀山村の集落に入ります。かつての高札場の跡が残されており、亀山城の城下町として栄えていたことがうかがえます。亀山の集落を過ぎ、国道259号に戻り南西に進みます。ゴールの伊良湖神社へは伊良湖神社北交差点を左折しますが、国道259号はこのまま伊良湖岬まで進み、伊良湖水道では海上国道となり、伊勢湾の対岸にある三重県鳥羽市まで続きます。

伊良湖神社 伊良湖神社へと続く参道を進んでいきます。途中、鳥居と「願はしきものは平和なり]と書かれた碑があります。そのまま直進すると、伊良湖神社に到着します。

伊良湖神社はもともとはもっと西の宮山にありましたが、明治時代に陸軍の施設として収容されるため現在の場所に集落ごと移転されました。神社には本殿と、伊勢神宮と橿原神宮を同時に拝める遥拝所などがあります。


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