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前回の旅では、名古屋市内から犬山市まで岩倉街道を走りました。今回は岩倉街道の東を並走するように存在する「犬山街道」を北から南に走ります。ゴールは犬山街道の起点である名古屋城の東大手門跡です。 犬山街道は犬山の古い呼び名である「稲置街道」と呼ばれることがあります。また途中、現在の小牧市に小牧宿があったため「小牧街道」と呼ばれることもあります。 さらには途中から「上街道」または「木曽街道」と呼ばれる道とも重複しています。今回の動画では、参考にした明治時代の地図に従い「犬山街道」という呼び方で統一しています。
今回の旅は犬山城の天守からスタートします。先週も犬山に来たのですが、犬山祭りが行われており交通規制のため車で城に近づくことすらできませんでした。なのでオープニングと車載動画の始めの方は10日後に改めて訪れて撮影したものです。
犬山城は織田信長の叔父である信康が築城し、その後の天下人がこの城を手にした日本の歴史上重要な城です。犬山城の天守は現存する日本最古のもので、国宝に指定されています
今回走る犬山街道は城の下を流れる木曽川の向こう、岐阜県の中山道・鵜沼宿まで本来は続いています。しかし岐阜県側はあまり古い道は残っていないため、今回の旅は愛知県側から始めます。
まずは木曽川を渡る渡し船があった地点まで行きます。この付近から出ていた「内田の渡し」は大正時代に犬山橋ができるまでは、木曽川を渡るための重要な交通手段でした。川沿いの道から坂をのぼり犬山城の城下町に進みます。犬山城下町のメインロードは南から北への一方通行のため、一本東側の道を走ります。メインロードの方は観光客相手の店舗が多くあまり古さを感じさせないため、一本外れた道の方が旧街道の原風景を感じさせます。本町交差点からは本来の犬山街道を走ります。この辺りは前回走った岩倉街道との重複区間です。
名鉄犬山線の踏切を越えてしばらく進むと県道27号に出ます。ここからしばらくは県道27号とその側道を行ったり来たりしながら南下していきます。県道27号の東側には名鉄小牧線が走っており、名古屋市内まで犬山街道を並走していきます。犬山市追分は犬山街道と上街道(木曽街道)の追分があったところです。上街道は北東にある中山道の伏見宿から南下してきて、ここから犬山街道と合流します。
楽田本町の交差点を過ぎて少し走ると小牧市に入ります。県営名古屋空港・通称小牧空港があり、常滑市に中部国際空港セントレアができるまでは愛知県の空の玄関口でした。今でも主要な道路が市内を通っており、名神高速道路と東名高速道路の境目である小牧インターチェンジや中央道の西端である小牧JCTがあります。
しばらく道を南下していくと右手に田縣神社が見えてくるので寄り道します。田縣神社は御歳神(ミトシノカミ)と玉姫命(タマヒメノミコト)を祀り五穀豊穣などにご利益があるとされる由緒ある神社です。この神社が他の神社と違うところは、境内のいたるところの男根を形どった物が祀られており、本殿にも鎮座していることです。しかも形はしっかりとリアルに作られているため、写真でお見せできないのが残念です。毎年行われる豊年祭では巨大な男根が神輿に担がれ町を練り歩く、愛知県の中でも奇祭中の奇祭が行われます。その際には男根の形をしたチョコバナナなどユニークな出店が出ますが、祭り期間でなくても隣にあるスーパーナフコではそれを形どった飴などが常時販売しています。
新久保町交差点からは県道27号から県道102号に変わります。東名高速の下をくぐり次の交差点からは、犬山街道は県道から一本西の道になりますが、逆向きの一方通行のため、小牧四丁目北交差点から逆向き(南→北)に撮影します。西の方には小牧山城が見えます。
小牧四丁目北交差点に戻り、本来の向き(北→南)に戻ります。小牧四丁目中交差点の北東の角には小牧宿本陣跡の案内板が立っています。しかしそれらしい建物などは何も残っていません。その南にある小牧四丁目南交差点には小牧代官所跡の小さな公園があり、隣には小牧市の指定民族文化財に指定されている岸田家の趣のある建物が残されています。
さらに道を南下していくと再び県道102号に戻ります。この先は犬山街道は喪失しているところもあるため、できる限り残っている道を走ります。名鉄牛山駅をすぎて少し南下すると春日井市に入ります。名古屋市に隣接し、JR中央線や名鉄線、城北線が通る名古屋のベッドタウンです。現在の春日井市は国道19号線のいわゆる「下街道」であった方が栄えていますが、旧春日井村があったのは現在走っている上街道側です。
味美上ノ町交差点を右折し本来の犬山街道を逸れて寄り道をします。県道62号を西に進み少しだけ名古屋市北区に入ります。そしてすぐに西春日井郡豊山町に入ります。愛知県で面積が最小の自治体で、しかもその面積の1/3を県営名古屋空港が占めています。元メジャーリーガーのイチローの出身地として有名です。県営名古屋空港に立ち寄ります。県営名古屋空港は現在は国内線のみ運行しており、滑走路は航空自衛隊と共用しています。
春日井市の味美上ノ町交差点から本来の犬山街道に戻ります。名古屋第二環状自動車道と城北線の高架をくぐり、次の中新町交差点からは、犬山街道はまた県道の一本西の道になるため再度逆から撮影します。名古屋市北区の楠味鋺から犬山街道を北上していくと左手に身代わり地蔵があります。この地蔵は、江戸時代に粗相をした女中が手打ちにされて殺されそうになったときに身代わりとなって助けたため首が切れているとのことです。今でも大切に祀られており、祭礼も行われているそうです。
名古屋市北区の楠味鋺から本来の向きに戻ります。味鋺神社を回り込み南に進んでいくと庄内川の堤防にぶつかります。この先、車は大きく迂回する必要がありますが歩行者用の橋が架かっているため徒歩で撮影します。かつて人々は「味鋺の渡し」という渡し船で庄内川を渡っていました。橋の上からは「ザ・シーン城北」の高い建物が見えます。庄内川に続いて矢田川を渡ります。昔はこの二本の川の中洲には川中村という村や、現在は矢田川の南に移転している成願寺という寺などがありました。現在二本の川は当時より接近しの中洲は細長くなっているため公園やゴルフコースがあります。
矢田川を渡った先の現在の成願寺付近から車での撮影に戻ります。この辺りの犬山街道は一本西側の斜めに走る道ですが、逆向きの一方通行であり古い街並みも残されていないため省略しています。志賀町2交差点から本来の犬山街道に戻り地下鉄名城線が通る道まで出ます。志賀橋交差点を迂回して右折し、すぐに左折して桜並木の堀川を渡ります。清水五北交差点からはまた逆向きの一方通行となるため、清水三丁目交差点付近まで迂回して逆から撮影します。清水2丁目の三角地には稲置街道の碑が建っています。
清水2丁目から本来の向きに戻り、名鉄瀬戸線の高架をくぐってしばらく進むと空港線に合流します。清水口交差点を右折し、清水橋東交差点で一本南の道に入ると名古屋城東大手門跡の石垣が見えます。ここが今回のゴールです。
名古屋城は織田信長が居城としたことで知られています。織田信長はその後清須城に居城を移したため、名古屋城は一旦廃城となります。しかし、江戸時代に徳川家康が清州城下町を都市機能ごと現在の名古屋に移した「清州越し」により、名古屋城も復活します。
明治時代になり名古屋城は廃城を免れますが、第二次世界大戦の名古屋大空襲で焼失、今ある城は1959年に再建されたものです。