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江戸時代、徳川家康は名古屋城の西、庄内川沿い(現在の西枇杷島付近)に大規模な「市」を定めました。その後西暦1667年、以前よりあった愛知県北部と名古屋を結ぶ道が再整備され、この市に作物を輸送するルートとして「岩倉街道」が定められたと言われています。今回はその岩倉街道を北端の犬山城まで走ります。
今回の旅のスタートは名古屋市西区の庄内川沿いにある「びわじま黒體龍王大神社」です。元々は、庄内川の中州に建っていた神社ですが、治水のため中州が撤去されたため名古屋側の岸に移されました。さらにその後、堤防道路の改修により現在の場所に再移転されたため、建物は新しいです。
まずは現在の枇杷島橋を東から西に渡り清須市に入ります。高架下に降り少し庄内川沿いを北上すると、美濃路の道標と「にしび夢だいこん」像があります。立札には要約すると「西は津島天王(津島神社のことだと思われます)・清須、東は名古屋、そして北は岩倉」と書かれており、ここで美濃路から分岐して岩倉街道が始まることがわかります。
庄内川に沿って北上していき、名鉄本線、名古屋高速6号清須線、国道22号を越えていきます。庄内緑地付近から堤防道路を下り、一旦名古屋市西区に戻ると旧小田井村に入ります。中小田井は名古屋市の町並み保存地区にもなっているため、岩倉街道の原風景ともいえる古い街並みを見ることができます
名鉄犬山線、城北線の高架をくぐった先は逆向きの一方通行があるため、名鉄上小田井駅方面に迂回します。本来の岩倉街道に戻り、ここから先はゴールの犬山市まで名鉄犬山線に並走し北上していきます。
新川を渡り、少し進むと北名古屋市に入ります。2006年に西春日井郡師勝町と西春町が合併して誕生した市です。名鉄線で名古屋駅まで10分そこそこで行ける、名古屋のベッドタウンです。竹田の交差点から名鉄西春駅付近までは、少しだけ逆向きの一方通行のため迂回します。西春駅付近には、昭和レトロ感のある街並みが少し残っています。
岩倉街道を道なりに北上し、桜で有名な五条川を渡ると岩倉市に入ります。現在、愛知県で最も面積の狭い市です。しかし街道の名前の由来となるほどかつては尾張北部の中心地でした。そのまま北上していき、名鉄犬山線を西から東に渡ると、岩倉城跡付近まではまた逆向きの一方通行となります。迂回が必要なので、五条川沿いの道を走ります。岩倉市内の五条川沿いには約7.6キロにわたり1,300本ほどのソメイヨシノが植えられており、愛知県でも有数の桜の名所です。この日も多くの人が花見に来ていました。
岩倉城跡から本来のルートに戻ります。岩倉城はこの辺り一帯を支配する重要な城でしたが1559年、織田信長によって焼き討ちされました。城下町を北から南に進みます。
また岩倉城跡に戻り北上を再開します。この先犬山までは岩倉街道は「柳街道」とも呼ばれます。織田信長の命で整備され、道沿いには柳の木が植えられていたことがその名の由来です。名鉄岩倉駅から五条川に桜見物に出かける人が大勢おり、道路も車で込み合っています。 渋滞を抜けて北上していき名神高速の下をくぐると、ここからは県道157号となります。一時的に一宮市に入りますが市の東端をかすめる程度で、すぐに江南市に入ります。旧小折村付近からは県道157号と側道を行ったり来たりしながら北上します。この辺りは織田信長の側室であり、3人の子をもうけたと言われる吉乃の方の出生地です。
国道155号を越えたあたりからは岩倉街道は喪失しているところもあります。古くからある神社や寺を繋ぐように辿っていきます。本来の岩倉街道は旧秋津村にあった若宮八幡宮を左折ですが、少し寄り道をします。東に進むとすぐに丹羽郡大口町に入ります。そして桜並木の五条川を越えて少し行くと大和屋守口漬の工場に着きます。守口漬は守口大根という長さ1.5m以上の細長い大根を使った漬物で愛知県の名産品の一つです。直売所があるためお土産を買います。
若宮八幡宮の前に戻り、本来の岩倉街道を進みます。工作機械メーカーのオークマの工場あたりは岩倉街道は喪失しています。名鉄柏森駅付近から丹羽郡扶桑町に入ります。扶桑町は先ほどの守口漬で使われる守口大根の生産が盛んです。現在守口大根は木曽川流域でしか生産されていませんが、その約7割をここ扶桑町が占めています。生産された守口大根はすべて漬物に加工されるため一般に出回ることはありません。
高木白山前交差点の近くには恵心庵があります。江戸時代に行われた「濃尾崩れ」と呼ばれる厳しいキリシタン弾圧で犠牲となった殉教者の碑があり、この下には今でもその骨が埋まっているそうです。
県道64号の2車線の道路に出て少し進むと犬山市に入ります。犬山城の城下町として発展した街で愛知県最北の市です。木津用水を越えたら再度右の細い道に入ります。そのまま東に進んでいくと犬山城の城下町の通りに出ます。この道は「犬山街道」や「稲置街道」と呼ばれる道も兼ねています。本来であればこのまま真っすぐ犬山城まで行けるのですが、あいにくこの日は犬山祭が行われており、出来町交差点から先は車両侵入禁止となっていたので後日改めて訪れました。古い街並みを生かした犬山城下町は外国人にも人気で、この日も平日にもかかわらず大勢の観光客がいました。
最初に撮影した日は犬山城に近づくのも困難であったため、犬山成田山を旅のゴールとしました。
犬山成田山は千葉県の成田山の別院で、正式名称は成田山名古屋別院大聖寺です。名古屋近隣の信徒が参拝しやすいように昭和28年に開創しました。東海地方の人々には交通安全の寺として有名であり、個人法人問わず多くの人が車のご祈祷を受けます。私も今日乗ってきたFIAT500を購入した際に車のお祓いをここで受けており、車にはお札があります。これまでの無事故無違反と、これからの安全運転を祈念して、今回の旅は終了です。