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以前走った平坂街道の終点である愛知県豊川市の小坂井から新城、設楽、津具を経由し、途中長野県下伊那郡根羽村で飯田街道と合流し塩尻まで続く道は「伊那街道」と呼ばれ、中馬によって信州方面に塩などが運ばれた「塩の道」の一つです。今日はこの「伊那街道」を走ります。ゴールは根羽村にある「月瀬の大杉」です。
平坂街道を走った際にゴールだった菟足神社からスタートします。東海道に出て北に進み小坂井の交差点で東に右折します。しばらく北東方向に進み県道495号に出て、県道400号を越えると牛久保城の城下町に入ります。この近くには桶狭間の合戦で織田信長に敗れた今川義元の墓があります。しばらく道なりに進むと左手に豊川稲荷が見えてきます。本来の伊那街道は豊川稲荷の正面の表参道ですが歩行者専用道のためその次の信号で右折します。古い町並みの面影がある住宅街を抜けて再び県道495号に戻ります。道なりに進み県道31号東三河環状線に突き当たったあたりで伊那街道は途絶えています。JR飯田線の線路を渡り、東名高速豊川ICあたりからは国道151号が伊那街道となります。
国道151号から脇道に入り少し進むと砥鹿神社に到着します。砥鹿神社は大己貴命(おおくにぬしのみこと)、つまり大黒様を祀る神社です。三河国の一之宮であり、ここにあるのは里宮で奥宮は本宮山にあります。砥鹿神社から先はさらに細い道が伊那街道となります。国道151号に戻りそのまま東に進むと右手に豊川が近づいてきます。本来の伊那街道は江島あたりからは豊川沿いの道ですが残っていないためそのまま国道151号を走ります。東上から豊川沿いの堤防道路を少し走り、豊島からは北に進みます。JR飯田線の線路を渡ると正面にかつて野田城のあった山があります。武田信玄はこの地で火縄銃で撃たれその傷がもとで亡くなったと言われています。
野田西交差点からは国道151号の一本南の道が伊那街道となります。新城市の中心地に入ると城下町らしく道が曲尺手となっています。かつて新城の町は秋葉山、鳳来寺、豊川稲荷詣での旅人で賑わい、当時は旅籠や馬宿、置屋などがあり花街を形成していたと言われています。
新城の城下町をすぎてJR三河東郷駅付近でJR飯田線を渡り、坂を上っていきます。この辺りは織田徳川連合軍が武田勝頼を破った「設楽原の戦い」の激戦地であり、近くには設楽原歴史資料館や復元された馬防柵があります。
JR飯田線の線路を渡り国道151号に出ます。新東名高速道路の高架をくぐり次の交差点で左折して国道を外れ大海の集落へと入っていきます。大海からは国道257号を北上していきます。豊川(寒狭川)の右岸に渡り長篠堰堤余水吐(ながしのえんていよすいばき)に立ち寄ります。長篠堰堤はアメリカのナイアガラ発電所をモデルにした発電所で「三河のナイアガラ」とも呼ばれます。今週は雨の日が多かったので水量が豊富で見ごたえがあります。(雨量の少ない時期は普通の滝なので、行く前にチェックした方がいいです)
豊川の左岸に渡り国道257号を北上します。「大曲り」あたりからは豊川の支流である海老川に沿って県道32号を走ります。伊那街道の宿場町である海老の集落から先は「与良木峠」を越える必要があります。正確な当時のルートは車で走ることが難しいため、途中まで県道32号を走り、その先は稲目清崎線に出ます。
与良木隧道は馬車が峠を越えられるように明治27年に開通しました。飯田街道の伊世賀美隧道(旧伊勢神トンネル)よりも古い奥三河最古の近代的隧道です。峠を下り清崎の集落に入っていきます。清崎も伊那街道の宿場町であり、町並みにその雰囲気がよく残っています。
清崎から次の集落である田口までは伊那街道は「アンザの坂(安沢の坂)」と呼ばれる道になります。(アンザの坂の動画)車は通れないため先に田口に車を停めて徒歩で坂を下り、動画はその復路となります。始めは豊川沿いに進み、途中からはその支流沿いに進みます。倒木も多くあまり人が通っているような道ではありません。途中からは道もあいまいになります。迷いながらさらに支流を上っていくと旧街道の石畳がはっきりと分かる道に出ます。説明書きが立っており、かつては中馬がこの道を行きかっていたそうです。
車に戻り、この辺りでは最大の集落である田口を走ります。しかし田口から先の伊那街道は、設楽ダムの建設地であるため寸断されています。また添沢、怒田と呼ばれるあたりの伊那街道は山の中を通っていたようですが、そのルートの確証が得られなかったため動画はボツにしました。なので間違いなく旧伊那街道であるところから動画を再開します。徒歩で松坂峠と呼ばれた坂を上ります。(松坂峠の動画)林道松坂線に出るあたりが峠の頂上であり、かつては茶屋があったそうです。ここから八橋までは下りとなります。しかし途中から道は荒れており設楽ダムの工事現場にも近いため引き返します。
県道10号を津具方面に走ります。現代の地図ではこの道が「伊那街道」となっています。途中、本来の伊那街道は「知生坂」と言われる道になりますが、ダム建設に伴う工事中であるためそのまま県道10号を走ります。三河最北の宿場町であった津具の集落を抜けると折元峠へと差し掛かります。この峠が本日の標高の最高地点です。折元峠を下っていき「つぐ高原グリーンパーク」を過ぎると長野県下伊那郡根羽村に入ります。根羽村の集落で県道10号は終点となり、飯田街道(国道153号)と合流します。飯田街道を愛知県方面に少し戻ると、月瀬の大杉がある月瀬神社に到着します。
「月瀬の大杉」は太さ約14メートル、高さ約40メートルの長野県一の巨木です。樹齢は1,800年あまりと言われており伊那街道や飯田街道ができるずっと以前からこの地に存在します。