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江戸時代、名古屋から信州方面に向かう公式な道は「木曽街道」で中山道・太田宿まで北上し、そこから中山道を東に進むのが正規のルートでした。しかしこの道筋では中山道の難所である「十三峠」を越える必要があります。そのため起伏の少なく距離も短い裏ルートが好んで利用されました。木曽街道が「上街道」と呼ばれたのに対しこの迂回路は「下街道」と呼ばれました。今回はこの「下街道」を走ります。ゴールは中山道との分岐点である槇ヶ根追分です。
今回のスタート地点は名古屋市北区山田にある「山田天満宮」です。広義の意味での下街道は熱田神宮付近にある東海道との追分から始まります。まず「本町通」を北上し名古屋城の手前まで行きますが、この道は以前「美濃路」を走った際に通ったことがあるため省略しました。また城下町からは東に進み現在の国道19号の左右の脇道を大曽根方面に進みますが、このあたりは逆向きの一方通行も多く古い町並みもあまり残っていないためこちらも省略しました。
国道19号に出て矢田川を渡り、名古屋市守山区の瀬古の集落に入ります。途中からは反対向きの一方通行となるため、庄内川手前から南に向かって進みます。途中、右手には水屋造りの建物が見られます。この辺りは矢田川と庄内川に挟まれたエリアであり昔から水害が多かったため、基礎を高くしてその上に蔵を築いて食料などを保管していました。
本来の向きに戻り勝川橋で庄内川を渡り春日井市に入ります。この辺りの下街道は一部喪失しています。地蔵川を渡るとかつての勝川村の中心地に入っていきます。下街道は正式な街道ではなかったため宿場町は設けられませんでしたが、勝川は実質的な宿場の役割を果たしていました。
名古屋第二環状自動車道から先は県道508号が下街道となります。現在の国道19号ができる前はこちらの道が国道19号でした。JR勝川駅前を通り過ぎ、旧柏井村からは県道の南の道が下街道となります。現在の春日井市の中心地である鳥居松に入り、鳥居松南交差点付近には旧街道を思わせる建物がちらほらと見受けられるようになります。街道の左手には、酒造業を営んでいた飯田家の離れとして幕末に建てられた春日井市立郷土館があります。
一旦旧国道19号である県道508号に戻り、今度は県道の北側の道を走ります。東名高速道路の下をくぐり少し進むと退休寺の向かいに「下街道の古井戸」があります。井戸は寺の創建者である小野沢又五郎が旅人や地域の人々のために掘らせたものと言われています。
国道155号を越え中部大学の西を通り、現在の国道19号に出ます。坂下町で国道を下り、坂下宿に入っていきます。この辺りには昔の宿場の雰囲気がよく残っています。旧国道19号に戻り内津川沿いを北上していきます。西尾から先は下街道最大の難所であった内津峠へと上っていきます。内津の集落にある内々神社に立ち寄ります。神社の創建年は不明ですが、その由来は日本武尊にあるとされています。また神社内にある庭園は県の指定文化財となっています。
内津峠を越えると岐阜県多治見市に入ります。宿場のあった池田から先の本来の下街道は土岐川沿いでしたが、大水の影響を受けやすかったため明治20年に現在のJR多治見駅前を通る道に付け替えられています。JR多治見駅に立ち寄り、多治見のゆるキャラ「うながっぱ」や「タイルマン」の写真を撮ります。
多治見駅南の「ながせ通り」は逆向きの一方通行のため、反対側から撮影します。多治見橋で土岐川を渡り多治見宿の中心地に入っていきます。この辺りはこの地で生産が盛んであった陶器を取り扱う商店が多くあったところです。
生田から先は下街道は喪失しています。神明峠を上っていき、国道19号に出てしばらく東に進むと土岐市に入ります。国道の左に中山神明神社に続く旧街道があるため徒歩で撮影します。中山神明神社も日本武尊に所縁のある神社です。
車に戻り神明峠を下り土岐市の市街地に入っていきます。ここからは岐阜県道421号沿いを東に進みます。土岐津町高山には下街道の宿場である高山宿がありました。
瑞浪市に入り、国道19号を渡り旧国道19号である県道352号とその脇道を走ります。ここからゴール付近の武並までJR中央本線の線路に沿って走ることになります。途中、昼となったためJR瑞浪駅でランチ休憩を取ります。瑞浪の名物である「あんかけかつ丼」を食べました。
旧街道に戻り、一日市場の集落を北上します。一旦旧国道に出てまた脇道に入ると、土岐宿に入ります。JR中央線の線路を西から東に渡り、土岐川の右岸を北上していきます。名滝からは土岐川の左岸となり、公文垣内を過ぎるとまた右岸となります。
JR釜戸駅付近は、釜戸の宿場町があったところです。大島の集落を越え、少し運転に疲れて眠くなってきたため近くの「釜戸の吊り橋」に立ち寄ります。橋を渡ってみましたが、風が強く左右に揺れており、足元の板も一歩ごとに軋むためなかなかスリルがあり眠気も醒めました。
下街道に戻り北上し、境橋を渡り恵那市に入ります。現在の武並付近は竹折の宿場があったところです。JR武並駅近くを通り、美濃の集落を過ぎて国道19号に出ます。中央自動車道下のトンネルをくぐり山に入っていき、しばらく上っていくと駐車スペースがあります。ここから槇ヶ根追分までは徒歩となります。
道は整備されており歩きやすく、道標もあるため迷うことはありません。途中からは階段となり、歩き始めてから10分ほどで中山道と下街道の分岐点である槇ヶ根追分に到着します。江戸時代、この地には9戸の茶屋があったそうです。また伊勢神宮遥拝所もあり、伊勢まで行けない旅人はここからそちらに向かって拝んだそうです。