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前回、「下街道」と呼ばれる道を名古屋から岐阜県の中山道との追分まで走りました。「下」に対する「上」となる道には諸説あります。一番有力と思われるのは「木曽街道」と呼ばれる、名古屋の城下町から小牧を経由して岐阜の土田で木曽川を渡り中山道の太田宿を目指す道です。この道は名古屋から中山道に向かう公式なルートであり、その裏道が下街道であったというのが一般的な見解です。今回はこの木曽街道、別名「上街道」を走ります。
今回のオープニングは愛知県犬山市にある楽田城跡です。楽田城は「小牧・長久手の戦い」で羽柴(豊臣)秀吉が本陣を置いたと言われる城です。対する徳川家康は小牧市の小牧山城に本陣を置き、にらみ合いが続きました。最終的には徳川側の織田信雄が家康に断りなく秀吉と和睦を結び終戦となり、楽田城は廃城となりました。
本来の上街道のスタート地点は名古屋城の東大手門ですが、ここ楽田までは以前に走った「犬山街道(稲置街道)」との重複区間であるため、今回は省略しました。「楽田追分」で犬山街道は北西に向かい、上街道は北東に向かいます。名鉄小牧線の線路を渡り楽田原の集落に入ります。この辺りは名古屋から五里(約20km)のため五里塚跡があります。五条川を渡り旧羽黒村の東を通り北上していきます。鉾添で直角に東に曲がり新郷瀬川を渡ったらまた直角に北に曲がります。羽黒安戸の集落の入口には安永2年の馬頭観音像があります。
前原からは県道188号を走ります。国道41号の下をくぐり塔野地の集落に入っていきます。塔野地からは県道188号は北東に進路を変えます。途中、本来のルートは県道を外れますが道が細く車が通れないためそのまま県道を走ります。
善師野川と名鉄広見線の線路を渡り上街道の宿場であった善師野に入っていきます。宿場の入口には天王社が祀られています。もともとは中山道はこちらを通っており、善師野も上街道の宿場となる前は中山道の宿場でした。宿場の坂道を上っていくと途中に一里塚跡の碑があり、さらに進むと車両通行止めとなっているため、ここから先は徒歩となります。
徒歩で「石拾峠」を上っていきます。上っていく途中に巨大な岩があります。この岩は「磐座」という信仰の対象であり、通称「蓑岩」と呼ばれています。しばらく進むと大洞池に出ます。大洞池とその隣にある小さな池の間の道を進んでいくと東海自然歩道と交差しベンチなどの休憩所があります。さらに進んでいくと道は細くなり足元は岩が転がるようになります。
急な坂道を上りきると石拾峠の頂上に到着します。ここからは岐阜県可児市となり、旧国名も尾張から美濃となります。坂道を下っていき舗装されている道の手前には比較的新しい道標があります。
車に戻り西帷子の集落を走ります。岐阜県道349号に出て国道41号の下をくぐり土田の集落に入っていきます。土田も善師野と同じく上街道の宿場であり、それ以前は中山道の宿場でした。土田の集落内を進んでいくと木曽川の堤防に突き当ります。ここから対岸の中山道・太田宿までは「土田の渡し」で木曽川を渡ることになります。